お約束1つ目

新型コロナウイルス感染症等の感染症に負けない街づくりを目指します。
医療、介護、福祉を充実し必要とされるサービスをしっかり提供できる街へ。
医療、看護、介護に携わる方々の支援を行います。
コロナ禍で進んだ医療ICT化を積極的に後押しし、医療機関側の人的経済的な負担の軽減と利用者側の利便性の向上を図ります。


お約束2つ目

保育園、幼稚園の待機児童ゼロを目指します。
コロナ禍で疲弊した家庭で進学が難しくなっている学生への支援を行います。
教育は、もとより、文化、スポーツ、芸術において世界で活躍する人材の育成のため、学生の交換留学など国際的な交流をサポートします。
医療的ケア児や障がいのあるお子様のご家庭のバックアップや子供たちの学びたい気持ち、チャレンジを行政のサービスを用いて応援します。


お約束3つ目

創業支援や企業誘致、長崎で頑張ってる中小企業を大切にし、みんなの雇用を支えます。
必要なインフラを整備し、障がい者や高齢者に優しい街づくりを実現します。
MICE施設で学会、会議を誘致し、人の交流を活発にし、レジャー、観光を後押しします。
自然豊かな長崎の環境を守り、漁業、農業、林業など一次産業に携わる方々の支援を行います。


お約束4つ目

長崎に立地する大学を中心とした研究機関を支援し、教育や研究に特化した街へ。
長崎へ企業を誘致し、若者の雇用の機会を増やすような取り組みを行います。
また、ベンチャー企業などの創業支援を行い、若い世代の夢を応援できる街づくりを目指します。


医療、教育、スポーツ文化芸術を中心とした

【長崎学園都市構想】

長崎は古くより海外への貿易窓口として多くの人、さまざまな文化が交流が行われていました。

1800年代半ばに長崎に設置された医学伝習所は、我が国初の近代的病院であり、現在の長崎大学医学部の元となります。

幕末には多くの武士たちが集まり、学問の互いに研鑽していました。

1923(大正12)年、長崎と上海を結ぶ日華連絡船が運航を始めました。昭和に入ると長崎の乗船所では軍備増強により軍艦建造数が増加します。その後、日本が太平洋戦争に突入すると、長崎では戦争関連の産業のために学生や勤労奉仕隊が動員されました。

1945(昭和20)年8月9日午前11時2分、長崎市上空に原子爆弾が投下せれ、たくさんの尊い一瞬にして奪われてしまいました。

長崎の人々はこの被爆の悲惨さを忘れず、後世に語り伝え、世界恒久平和を念願するために8月9日を

ながさき平和の日とし、毎年この日は平和記念像の前において、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われています。

激動の歴史を辿ってきた長崎。文明開化の明るさもキリスト教受難や戦争の悲しみも、あらゆるものを乗り越えて、今もなお魅力的な街へと進化し続けています。

一方で今長崎はかつてない程のペースで人口流出が進んでいます。これほど魅力のある街なのにどうしてでしょうか?

これには長崎に住む皆さんにとって安心できる環境や働く場、豊かな人生を享受できる機会が足りないと感じているからなのかもしれません。

この問題を解決するために、私は長崎学園都市構想を提唱します。

長崎大学の熱帯医学・感染症、放射線医療科学分野等

卓越した実績を有する長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)、長崎大学高度感染症研究センター(BSL-4施設)など、世界的規模の研究機関を中心に学会を誘致し、研究者のベンチャー創業を促します。

大学で基礎から応用を学ぶ学生を支援し、日本及び世界で活躍できる人事を育成します、また研究の分野以外においても、若い世代の創業を積極的に支援します。このことにより若者がチャレンジできる町をアピールします。

また、長崎ヴェルカ・Vファーレン長崎などプロチームを抱える長崎スタジアムやトレーニング施設等を整備し、スポーツの振興を促します。

全国からあるいは海外へのスポーツの留学を受け入れ、幼年時からプロに至るまでの育成をサポートするのです。

同様に、文化芸術面においても強度から進出した指導者を迎え、子どもたちが学ぶ機会を充実させます。

合わせて、若い世代が住むためのインフラ整備が必要です。また移住してくる世帯へのサービスも提供します。

長崎市のMICE施設を中心に国内外から関係者を集めて交流を盛んにします。そうすることにより宿泊施設及び観光業を盛り上げます。長崎を訪れた人々は長崎の自然豊かな環境と新鮮な食材に感銘を受けるはずです。こうした一連の流れは長崎の一次産業の下支えとなります。一次産業へ取り組む方、特に若い担い手にはベーシックで収入を担保してあげるような案も必要です。

更にもっと若い世代中学生・高校生の学びたい!を育てます。

奨学金制度の充実・学ぶ機会の提供、例えば中高生が大学の授業の傍聴制度を設ける、姉妹都市への市がバックアップしての交換留学など将来、長崎へフィードバックしてくれる人達を育てます。

このような正の循環こそが、長崎再生の鍵となると信じます。かつて鎖国下の唯一の貿易港で貿易港であった長崎。その歴史が私たちにこれからの道を教えてくれていると思います、人を集め交流し、学問を研鑽し、人を育てる。争うのではなく、高め合う。

被爆地である長崎であるからこそもつ平和な心がこれにあわさる人々の知恵が重なり、より良い街へと進化するのです。

私の座右の銘である「温故知新」、温きをたずね新しきを知る。先人達が歩んで歴史を種に私達は前へ進みます。

世界へ羽ばたく街へ、みんなが住みたくなる街へ共に手を合わせましょう。

【みんなで考えるボトムアップによるまちづくり】

私は薬剤師として地域の方々と話をしたり、患者さんと話したりする中で、皆さんがいろんなアイディアや地域の情報を持っておられることに気が付きました。

例えば、あそこの道路は路側帯が狭くて危ないんだよね。あそこは電灯がなくて夜歩くのが怖いんだ。子供たちのために、ここにこんな公園が欲しい。年配の方のために、この階段の横に手すりがあるといいのに。休めるベンチがあるといいのに。

皆さんが心地よく住むためのいろんなアイディアが、実は、たくさん眠っていることに気が付きました。

たしかに、政治や行政主導でトップダウンで降りてくる街の作り方もとても大切だと思います。

しかし、その一方で、皆さんが考えるちょっとした”いいね”を積み重ねていくことで作るまちづくり、サッカーで言うところのビルドアップでしょうか、そんな小さな一つ一つを積み重ねていけば、やがて大きな流れとなって、すごく素敵な住みやすい街になると思いませんか??

私は皆さんのご意見を集めて、形にした、まちづくりを届けたいと考えています。